2010年5月10日月曜日

望むものを見ることの出来るメディア


例えば円錐は横から見れば三角形だが上から見れば円に見える
同じものを同じように見ても違うもののように見えるたとえによく使われる
ましてや部分的にしか見なければ、盲が象を触る寓話のように部分部分によって全く違うもののように思える

TwitterのTime Lineはある意味レゴブロックでできた象か
あまりに巨大でしかも人によって異なる部分を組み合わせてTwitterだと思っている
自分がフォローしている人たちのつぶやきや、彼らが「皆に知らせたい」とRTしたものだけが自分にとってのTwitter世界だ
勝手にTwitterだと思い込んでいる巨象の断片を自分の好きなように組み合わせて自らの主張に沿ったものだと言うことができる
言うことが出来る、ということに気付いているならまだマシか?
それに気付かず信じ込んでしまっている人も多い

ましてやTwitterでは比較的「有名人の本音(ヲイヲイ)が聞ける」という触れ込みで拡大しただけに自らを影響力のある、有名人だと勘違いしている人には心地よい
さらに彼はそうやって自分に都合のいい声しか聞けないシステムなのだと気づかない
「ほら、みんなも俺と同じ意見なんだ!」(あるいは「俺の意見にひれ伏しているのだ」)
そうやって特定の意見、流れのみを見つめる人達を発見したのがこの画像、というわけ

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