久々にネットの匿名と実名について書く
米国のネット社会の代表的存在であるFacebook(アメリカ版mixiってとこ)で実名から実質的匿名への移行がどんどん進んでいるって話を聞いた
Facebook以外でも匿名ブログ(実名or芸名、ペンネームでなくネット上だけの名前で書いている、という意味)も急速に増加、主流となりつつあるという話
しばらく前までよく聞いた「日本の匿名掲示板や匿名のブログは日本の後進性」といった匿名=無価値論、卑怯論の類はアメリカでも主流となりつつある事で日本の後進性や日本の歪んだネット社会ゆえ、と言うことではなくなりつつある
違う言い方をすればアメリカもネットのダークサイドに落ち込みつつある、とも言えようか
ここで話をなぜアメリカでは実名=身分を明らかにしたネット文化が強かったかを考えてみよう
アメリカのネット文化を牽引したのは実のところ身内のお遊びから巨大化して、という形での進化は実のところ意外と少ない
大学や企業の研究室からスピンアウトした人間がアイデアを投資家に持ち込み、サービスが立ち上がり、巨大化するに従って資本が流れ込み、といった具合が多い
そしてその巨大化の牽引となったのはリアル社会での権威やミーハーな追従者だった
Facebookの場合は初期にはそれぞれ知り合いが出逢うという特性上実名が必須だった
ただ巨大化するにつれて「○○もやってる」という話につられて参加したユーザーが多い
mixiでもある公認アカウント、みたいなものだ
Facebookを始めると彼らリアルには触れられない彼らの肉声(とされる)声に触れることが出来る
上手く行けば直接の会話?も出来る
めちゃくちゃ有名なロックスターや政治家から「君も頑張ってね」なんてね
Twitterも同様なのはご存知の通り
つまり現実世界の権威やつながりがそのままネットというツールを使っているだけ
ネットの世界は「世界」の一部だったのだ
ブログに至ってはさらにその傾向が強まる
よく「欧米のブログは専門家の意見、資料の宝庫、メディアとして成立してるが日本は無意味な日記」という言い方がなされた
そのとおり、欧米のブログは著名なジャーナリストや作家、アーティスト、政治家といったリアルな世界で権威を持つもの達の「お言葉」として広がっていった
今までのメディアで拾い切れなかった彼ら権威者の言葉を「雑誌やTVより早く詳細に」受け取れるツールとして広がったのだ
そして多くの一般人達は自分の考えの補強として彼らのブログを引用し、トラックバックし自己の権威付けを行った
特に非英米語圏たる日本において参照されるブログの多くは各業界の権威者達のブログであり、アメリカでも量的には多数を占める一般人のブログなんか目を通そうなんて思わないから余計そう思うわけだ
SMSやBlogの例を見ればわかるようにアメリカでネットを代表するメディアにおいては基本的にリアルな世界での権威がそのまま持ち込まれた
元々無名の人間がネットでアングラの匂い漂わせながらごにょごにょやってるうちに巨大化してしまった2ちゃんねるあたりとは全く異なるものなのだ
ここでは匿名は現実社会での権威を利用できない人間であり、現実世界での権威はそのままネットでの権威となる
こういった実名重視のメリットはひとえに先進的ネット社会を意味するのではなくリアルな現実社会の権威がそのままネット社会にまで持ち込まれていたということに過ぎない
日本の匿名性批判とはなんだったのか?
日本においてはネット社会に現実社会がその影響力が通用せず、コンテンツのみの評価が重視されていったため、現実社会での権威者が「気に食わなかった」という事だけではないのだろうか?
ま、mixiでも自らの属性によりかかった議論は多いのだけどね
おいらもここじゃ3流大学卒の失業者ってバレバレ
2chの方がいい加減に発言できていいのかなぁと
でも長すぎるんだよね、文章が

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